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帰納と演繹をクソわかりやすい言葉で説明してみる

投稿日:10月 23, 2018 更新日:

「帰納」と「演繹」

これらの言葉を初めて知ったのはいつだったでしょうか?

ちょっと難しめの本に出てきたり、

高校生の現代文の授業とかで出てきたり、

あるいは高校生の数学で「数学的帰納法」なんてのを習ったときに出てきたりします。

 

僕は恥ずかしながら、高校の現代文の授業で出てきたけどよく分かんないままずっと放置してました。

大学入ってからしっかり調べる機会があって、やっと理解したのです。

 

この記事では、はじめて「帰納と演繹」という言葉を知った中・高校生、よく分かんないまま放置している方に向けて誰にでもわかる言葉で説明していきたいと思います。

 

どういうときに使うか

演繹や帰納は

まだ知らないことについて予想をたてるときに使います。

 

演繹について

演繹とは?

すべてのものに当てはまるような前提から、より個別・具体的な結論を導くことです。

 

具体例を見るのが早いでしょう。

  1. (前提)あなたはヒトである。
  2. (前提)ヒトはいつか死ぬ。
  3. (結論)あなたはいつか死ぬ。

これは有名な「三段論法」というやつで、

1,2という一般的な前提から

3という、より個別・具体的な結論を予想しています。

 

演繹の特徴(ちょっと難しい)

演繹は前提が正しければ、結論は論理的に必ず正しくなります。

 

なんかすごそうだけどそういうもんだと思ってください。

例を2つ考えてみましょう。

 

例1

  • (前提)すべての人は私の赤ちゃんを愛する。
  • (前提)私の赤ちゃんは、私のみを愛する。
  • (結論)私は、私の赤ちゃんである。

わけのわからない結論になっていますが、前提が正しいとすればこの結論も正しいのです。

逆に、結論が間違っているなら前提がおかしいということです。

 

少し難しいですが、前提が正しいと仮定して、

なぜこの結論が得られるのか考えてみてください。

(ヒント:「すべての人」と「私の赤ちゃん」の関係…)

 

また、結論が明らかに変なので前提がおかしいわけですが、

前提のどこがダメなのかも考えてみてください。

(上の問題がわかれば多分わかるッ…)

 

 

演繹だから結論の論理的に正しくなるわけではなく、

論理的に正しくなるように結論を導くのが演繹、ってわけですね。

 

 

例2

  • (前提)パーはグーより強い
  • (前提)チョキはパーより強い
  • (結論)チョキはグーより強い

これはどうなんでしょう?

結論がおかしいですよね?

だって、チョキはグーより弱いですもん。

前提もおかしくないし…

前提が正しいなら結論は正しいんじゃなかったの!?

嘘つき嘘つき!!

 

 

心配ありません。

この結論は正しいです。

 

おかしいのは

これがじゃんけんだった場合です。

 

前提にはグーやパーがじゃんけんのグーやパーと書いてあるわけではないので、

3すくみになっているわけではないのです。

 

よって「チョキはグーより強い」という結論は論理的に正しいのです。

じゃんけんであるなら、

前提を増やさなければいけなかった

ということです。

 

 

帰納について

帰納とは?

演繹とは逆に、

個別・具体的なことがらから、より一般的な結論を導くことです。

 

こちらも具体例を見てみましょう。

  1. (ことがら)ひい爺ちゃんは死んだ。
  2. (ことがら)ひいひいばあちゃんは死んだ。
  3. (ことがら)徳川家康は死んだ。
  4. (結論)ヒトはいつか死ぬ。

個別のことがら1~3から4という結論を予想しています。

 

帰納の特徴

帰納はどんなに多くのことがらを観察しても、結論が必ず正しい、ということを正当化できません。

 

先ほどの具体例で考えて見ましょう。

 

100人、1000人のヒトが死んだのを知っていたとしても、全てのヒトが死んだのを観察したわけではありません

いつか死なないヒトが現れるかもしれないのです。

 

よって帰納で得られた結論をもう少し正確に言い直すと

・どうやらヒトはいつか死ぬっぽい

ぐらいの感じになります。

 

しかし、ことがらが増えれば増えるほど「っぽさ」も増えていきます

ひい爺ちゃんとひいひいばあちゃんと徳川家康の3人が死んだからすべてのヒトが死ぬと結論するのは早まりすぎですが、

今までにクソ沢山の人間が死んだことを考えれば、ヒトはかな~り死ぬっぽいですよね。

 

結論の正しさの蓋然性があがるわけです。

(蓋然性って?:蓋然性と可能性について

 

 

統計をつかう方法は帰納的な方法と言えます。

身近な例だと世論調査とかですね。

 

1000人調べて、内閣の支持率が50%だったからといって

残りの日本国民1億なんぼがみんな支持しない派ではないとは言い切れません。

しかし、1000人調べて50%なら残りの人間全員を調べても50%くらいになるっぽいと思いませんか?

 

1万人調べればもっと「っぽく」なります。

統計を使うとその確率を計算したりできるのです。

統計ってスゴイ…。

 

数学的帰納法?

数学的帰納法という名前の演繹があります!!

何言ってんでしょうね。

 

数学的帰納法をご存知でしょうか?

高校の数学、数学B・数列で習う、証明の方法です。

ある命題が

  1. n=1の時に成り立つことを示す
  2. ある自然数n=kのときに成り立つと仮定するとn=k+1のときにも成り立つことを示す。
  3. 1,2からnが任意の自然数のときに成り立つことが言える

というやつです。

 

証明は論理的に間違いのないように進められているので完全に演繹なのですが、

1,2を示すことができると、

(ことがら)n=2のとき成り立つ

(ことがら)n=3のとき成り立つ

(ことがら)n=4のとき成り立つ

(ことがら)n=5のとき成り立つ

….

沢山の個別のことがらを観察して最終的な結論を導いているように見えます。

この様子が帰納に見えるので数学的帰納法という名前がついているようです。

 

どっちが偉い?~演繹vs帰納~

なんだか正しさが保証されない帰納よりも保証される演繹の方が良さそうに思えませんか?

 

でも、そんなことはないのです。

 

もう一度例に戻ってみましょう。

まずは演繹の例です。

  1. (前提)あなたはヒトである。
  2. (前提)ヒトはいつか死ぬ。
  3. (結論)あなたはいつか死ぬ。

演繹は前提が正しいなら結論も正しい、ということでしたが

この1.と2.(特に2.)の前提はどうやって導いたのでしょうか?

2.は本当に正しいのでしょうか?

 

そこで帰納の例に戻ってみましょう。

  1. (ことがら)ひい爺ちゃんは死んだ。
  2. (ことがら)ひいひいばあちゃんは死んだ。
  3. (ことがら)徳川家康は死んだ。
  4. (結論)ヒトはいつか死ぬ。

おっと。

結論で先ほど演繹の前提(2.)となっていたものが導かれていますね。

 

このように、演繹では前提となる理論(この場合は「ヒトはいつか死ぬ」)を作ることができません

理論は帰納によって作られるのです。

 

だから、どっちが偉いとかじゃないのです。

 

 

でも、

帰納で得られた結論は正しいことが保証はされないんでしたよね?

あれれ…?

そしたらそれを前提にした演繹で得られた結論も正しいことが保証されなくなっちゃうんじゃ…?

 

 

そう思えたら鋭いです。

気になった方は

反証主義」「カール・ポパー」

なんてワードでググってみるといいかもしれません。

書籍は日本語訳されたものが出てます。

「科学的発見の論理」

最後に

結局わかりにくくなっちゃった。

-日本語

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